序卦伝(じょかでん)(下)
「有天地然後有萬物。
有萬物然後有男女。
有男女然後有夫婦。
有夫婦然後有父子。
有父子然後有君臣。
有君臣然後有上下。
有上下然後禮儀有所錯。
夫婦之道不可以不久也。故受之以恆。
恆者久也。物不可以久居其所。故受之以遯。
遯者退也。物不可以終遯。故受之以大壯。
物不可以終壯。故受之以晉。
晉者進也。進必有所傷。故受之以明夷。
夷者傷也。傷於外者必反其家。故受之以家人。
家道窮必乖。故受之以睽。
睽者乖也。乖必有難。故受之以蹇。
蹇者難也。物不可以終難。故受之以解。
解者緩也。緩必有所失。故受之以損。
損而不已必益。故受之以益。
益而不已必決。故受之以夬。
夬者決也。決必有所遇。故受之以姤。
姤者遇也。物相遇而後聚。故受之以萃。
萃者聚也。聚而上者謂之升。故受之以升。
升而不已必困。故受之以困。
困乎上者必反下。故受之以井。
井道不可不革。故受之以革。
革物者莫若鼎。故受之以鼎。
主器者莫若長子。故受之以震。
震者動也。物不可以終動。止之。故受之以艮。
艮者止也。物不可以終止。故受之以漸。
漸者進也。進必有所歸。故受之以歸妹。
得其所歸者必大。故受之以豐。
豐者大也。窮大者必失其居。故受之以旅。
旅而无所容。故受之以巽。
巽者入也。入而後説之。故受之以兌。
兌者説也。説而後散之。故受之以渙。
渙者離也。物不可以終離。故受之以節。
節而信之。故受之以中孚。
有其信者必行之。故受之以小過。
有過物者必濟。故受之以既濟。
物不可窮也。故受之以未濟終焉。」
「天地ありて然る後に万物あり。万物ありて然る後に男女あり。男女ありて然る後に夫婦あり。夫婦ありて然る後に父子あり。父子ありて然る後に君臣あり。君臣ありて然る後に上下あり。上下ありて然る後に礼儀錯くところあり。
夫婦の道はもって久しからざるべからず。故にこれを受くるに恒をもってす。
恒とは久なり。物事もって久しくその所に居るべからず。故にこれを受くるに遯をもってす。
遯とは退くなり。物もって遯に終るべからず。故にこれを受くるに大壮をもってす。
物もって壮なるに終るべからず。故にこれを受くるに晋をもってす。
晋とは進なり。進めば必ず傷るるところあり。故にこれを受くるに明夷をもってす。
夷とは傷るるなり。外に傷るる者は必ずその家に反る。故にこれを受くるに家人をもってす。
家道窮まれば必ず乖く。故にこれを受くるに睽をもってす。
睽とは乖くなり。乖けば必ず難あり。故にこれを受くるに蹇をもってす。
蹇とは難なり。物もって難に終るべからず。故にこれを受くるに解をもってす。
解とは緩なり。緩くすれば必ず失うところあり。故にこれを受くるに損をもってす。
損して已まざれば必ず益す。故にこれを受くるに益をもってす。
益して已まざれば必ず決す。故にこれを受くるに夬をもってす。
夬とは決なり。決すれば必ず遇う所あり。故にこれを受くるに姤をもってす。
姤とは遇なり。物相い遇いて後に聚る。故にこれを受くるに萃をもってす。
萃とは聚なり。聚りて上るものはこれを升ると謂う。故にこれを受くるに升をもってす。
升りて已まざれば必ず困しむ。故にこれを受くるに困をもってす。
上に困しむ者は必ず下に反る。故にこれを受くるに井をもってす。
井道は革めざるべからず。故にこれを受くるに革をもってす。
物を革むるものは鼎にしくはなし。故にこれを受くるに鼎をもってす。
器を主どる者は長子にしくはなし。故にこれを受くるに震をもってす。
震とは動くなり。物もって動くに終るべからず。これを止む。故にこれを受くるに艮をもってす。
艮とは止まるなり。物もって止まるに終るべからず。故にこれを受くるに漸をもってす。
漸とは進むなり。進めば必ず帰する所あり。故にこれを受くるに帰妹をもってす。
その帰する所を得る者は必ず大なり。故にこれを受くるに豊をもってす。
豊とは大なり。大を窮むる者は必ずその居を失う。故にこれを受くるに旅をもってす。
旅して容るる所なし。故にこれを受くるに巽をもってす。
巽とは入るなり。入りて後にこれを説ぶ。故にこれを受くるに兌をもってす。
兌とは説ぶなり。説びて後にこれを散らす。故にこれを受くるに渙をもってす。
渙とは離るるなり。物もって離るるに終るべからず。故にこれを受くるに節をもってす。
節してこれを信ず。故にこれを受くるに中孚をもってす。
その信ある者は必ずこれを行なう。故にこれを受くるに小過をもってす。
物に過ぐることある者は必ず済す。故にこれを受くるに既済をもってす。
物は窮まるべからざるなり。故にこれを受くるに未済をもってしてここに終る。」
「天地(てんち)ありて然(しか)る後(のち)に万物(ばんぶつ)あり。万物(ばんぶつ)ありて然(しか)る後(のち)に男女(だんじょ)あり。男女(だんじょ)ありて然(しか)る後(のち)に夫婦(ふうふ)あり。夫婦(ふうふ)ありて然(しか)る後(のち)に父子(ふし)あり。父子(ふし)ありて然(しか)る後(のち)に君臣(くんしん)あり。君臣(くんしん)ありて然(しか)る後(のち)に上下(じょうげ)あり。上下(じょうげ)ありて然(しか)る後(のち)に礼儀(れいぎ)錯(お)くところあり。
夫婦(ふうふ)の道(みち)はもって久(ひさ)しからざるべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに恒(こう)をもってす。
恒(こう)とは久(きゅう)なり。物事(ものごと)もって久(ひさ)しくその所(ところ)に居(お)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに遯(とん)をもってす。
遯(とん)とは退(しりぞ)くなり。物(もの)もって遯(とん)に終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに大壮(たいそう)をもってす。
物(もの)もって壮(そう)なるに終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに晋(しん)をもってす。
晋(しん)とは進(しん)なり。進(すす)めば必(かなら)ず傷(やぶ)るるところあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに明夷(めいい)をもってす。
夷(い)とは傷(やぶ)るるなり。外(そと)に傷(やぶ)るる者(もの)は必(かなら)ずその家(いえ)に反(かえ)る。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに家人(かじん)をもってす。
家道(かどう)窮(きわ)まれば必(かなら)ず乖(そむ)く。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに睽(けい)をもってす。
睽(けい)とは乖(そむ)くなり。乖(そむ)けば必(かなら)ず難(なん)あり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに蹇(けん)をもってす。
蹇(けん)とは難(なん)なり。物(もの)もって難(なん)に終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに解(かい)をもってす。
解(かい)とは緩(かん)なり。緩(ゆる)くすれば必(かなら)ず失(うしな)うところあり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに損(そん)をもってす。
損(そん)して已(や)まざれば必(かなら)ず益(ま)す。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに益(えき)をもってす。
益(えき)して已(や)まざれば必(かなら)ず決(けっ)す。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに夬(かい)をもってす。
夬(かい)とは決(けつ)なり。決(けっ)すれば必(かなら)ず遇(あ)う所(ところ)あり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに姤(こう)をもってす。
姤(こう)とは遇(ぐう)なり。物(もの)相(あ)い遇(あ)いて後(のち)に聚(あつま)る。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに萃(すい)をもってす。
萃(すい)とは聚(じゅ)なり。聚(あつま)りて上(のぼ)るものはこれを升(のぼ)ると謂(い)う。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに升(しょう)をもってす。
升(のぼ)りて已(や)まざれば必(かなら)ず困(くる)しむ。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに困(こん)をもってす。
上(うえ)に困(くる)しむ者(もの)は必(かなら)ず下(しも)に反(かえ)る。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに井(せい)をもってす。
井道(いどう)は革(あらた)めざるべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに革(かく)をもってす。
物(もの)を革(あらた)むるものは鼎(かなえ)にしくはなし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに鼎(てい)をもってす。
器(うつわ)を主(つかさ)どる者(もの)は長子(ちょうし)にしくはなし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに震(しん)をもってす。
震(しん)とは動(うご)くなり。物(もの)もって動(うご)くに終(おわ)るべからず。これを止(とど)む。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに艮(ごん)をもってす。
艮(ごん)とは止(と)まるなり。物(もの)もって止(と)まるに終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに漸(ぜん)をもってす。
漸(ぜん)とは進(すす)むなり。進(すす)めば必(かなら)ず帰(き)する所(ところ)あり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに帰妹(きまい)をもってす。
その帰(き)する所(ところ)を得(う)る者(もの)は必(かなら)ず大(だい)なり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに豊(ほう)をもってす。
豊(ほう)とは大(だい)なり。大(だい)を窮(きわ)むる者(もの)は必(かなら)ずその居(きょ)を失(うしな)う。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに旅(りょ)をもってす。
旅(たび)して容(い)るる所(ところ)なし。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに巽(そん)をもってす。
巽(そん)とは入(はい)るなり。入(はい)りて後(のち)にこれを説(よろこ)ぶ。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに兌(だ)をもってす。
兌(だ)とは説(よろこ)ぶなり。説(よろこ)びて後(のち)にこれを散(ち)らす。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに渙(かん)をもってす。
渙(かん)とは離(はな)るるなり。物(もの)もって離(はな)るるに終(おわ)るべからず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに節(せつ)をもってす。
節(せっ)してこれを信(しん)ず。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに中孚(ちゅうふ)をもってす。
その信(まこと)ある者(もの)は必(かなら)ずこれを行(おこ)なう。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに小過(しょうか)をもってす。
物(もの)に過(す)ぐることある者(もの)は必(かなら)ず済(な)す。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに既済(きせい)をもってす。
物(もの)は窮(きわ)まるべからざるなり。故(ゆえ)にこれを受(う)くるに未済(びせい)をもってしてここに終(おわ)る。」
(てんちありてしかるのちにばんぶつあり。ばんぶつありてしかるのちにだんじょあり。だんじょありてしかるのちにふうふあり。ふうふありてしかるのちにふしあり。ふしありてしかるのちにくんしんあり。くんしんありてしかるのちにじょうげあり。じょうげありてしかるのちにれいぎおくところあり。
ふうふのみちはもってひさしからざるべからず。ゆえにこれをうくるにこうをもってす。
こうとはきゅうなり。ものごともってひさしくそのところにおるべからず。ゆえにこれをうくるにとんをもってす。
とんとはしりぞくなり。ものもってとんにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにたいそうをもってす。
ものもってそうなるにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにしんをもってす。
しんとはしんなり。すすめばかならずやぶるるところあり。ゆえにこれをうくるにめいいをもってす。
いとはやぶるるなり。そとにやぶるるものはかならずそのいえにかえる。ゆえにこれをうくるにかじんをもってす。
かどうきわまればかならずそむく。ゆえにこれをうくるにけいをもってす。
けいとはそむくなり。そむけばかならずなんあり。ゆえにこれをうくるにけんをもってす。
けんとはなんなり。ものもってなんにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにかいをもってす。
かいとはかんなり。ゆるくすればかならずうしなうところあり。ゆえにこれをうくるにそんをもってす。
そんしてやまざればかならずます。ゆえにこれをうくるにえきをもってす。
えきしてやまざればかならずけっす。ゆえにこれをうくるにかいをもってす。
かいとはけつなり。けっすればかならずあうところあり。ゆえにこれをうくるにこうをもってす。
こうとはぐうなり。ものあいあいてのちにあつまる。ゆえにこれをうくるにすいをもってす。
すいとはじゅなり。あつまりてのぼるものはこれをのぼるという。ゆえにこれをうくるにしょうをもってす。
のぼりてやまざればかならずくるしむ。ゆえにこれをうくるにこんをもってす。
うえにくるしむものはかならずしもにかえる。ゆえにこれをうくるにせいをもってす。
いどうはあらためざるべからず。ゆえにこれをうくるにかくをもってす。
ものをあらたむるものはかなえにしくはなし。ゆえにこれをうくるにていをもってす。
うつわをつかさどるものはちょうしにしくはなし。ゆえにこれをうくるにしんをもってす。
しんとはうごくなり。ものもってうごくにおわるべからず。これをとどむ。ゆえにこれをうくるにごんをもってす。
ごんとはとまるなり。ものもってとまるにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにぜんをもってす。
ぜんとはすすむなり。すすめばかならずきするところあり。ゆえにこれをうくるにきまいをもってす。
そのきするところをうるものはかならずだいなり。ゆえにこれをうくるにほうをもってす。
ほうとはだいなり。だいをきわむるものはかならずそのきょをうしなう。ゆえにこれをうくるにりょをもってす。
たびしているるところなし。ゆえにこれをうくるにそんをもってす。
そんとははいるなり。はいりてのちにこれをよろこぶ。ゆえにこれをうくるにだをもってす。
だとはよろこぶなり。よろこびてのちにこれをちらす。ゆえにこれをうくるにかんをもってす。
かんとははなるるなり。ものもってはなるるにおわるべからず。ゆえにこれをうくるにせつをもってす。
せっしてこれをしんず。ゆえにこれをうくるにちゅうふをもってす。
そのまことあるものはかならずこれをおこなう。ゆえにこれをうくるにしょうかをもってす。
ものにすぐることあるものはかならずなす。ゆえにこれをうくるにきせいをもってす。
ものはきわまるべからざるなり。ゆえにこれをうくるにびせいをもってしてここにおわる。)